いじめ

いじめってどうしてしてしまうんでしょうね。

 

人と違うから

人よりも劣っている部分があるから

気に入らないから

 

そんな理由で一人にターゲットを絞って

その人を苦しめて喜ぶ。

 

最低だと思います。

 

 

わたしは小学校時代いじめを少しだけ受けたことがあります。

よくある無視です。

その時の記憶が余りないので、どうして無視をされたのかはわかりませんが、

ある日突然無視され、いつの間にか普通に話すようになりました。

加害者から謝罪の言葉やどうして無視したのかは聞いていないと思います。

でも、やってみたくなったんですかね。

子どもの心ってわからないですよね。

同じ学年の時「◯◯菌」が流行りました。

いじめられている被害者の子の名前に菌をつけて

被害者の子が触れた物、人から菌が発生するらしいです。

そして、鬼ごっこのようにしてタッチし合う。

「うわ汚ね」「触るな」

タッチされるとそんな言葉が飛び交います。

 

私もその目に見えない「◯◯菌」に怯える一人でした。

被害者の子に触れられることは嫌ではないのですが、

「タッチされないといいな」とは思っていたと思います。

私は傍観者でした。

 

いじめにおいて、傍観者も加害者と同罪であると

いじめられてみると感じるのですが、

傍観者をしている時には、自分を守ることで

精一杯になってしまいました。

 

「◯◯菌」のいじめを止めたのは

担任の先生でした。男の先生でした。

「その菌、僕にちょうだい」

そう言っていたと思います。

菌を担任が一手に受けることで

いじめを収束させていたと思います。

 

学校では先生がこのように守ってくれます。

では、社会では?

誰が守ってくれるの?

たぶん誰も守ってくれないです。

 

会社でのいじめだったら

耐えるか、部署を変えてもらうか、転職するか、死ぬか

しかないと私は感じました。

結局誰も守ってくれないんです。

 

何度も「死」の言葉が頭に浮かびました。

この電車にはねられたら終わると思ったこともありましたし、

猛スピードで車が走る国道で「この赤信号の時に走り出せば死ねる」と

思ったこともありました。

生憎、高い建物が家の近くに無いので

飛び降りようとは考えなかったんですけどね。

歩道橋は絶好の「希死」ポイントでした。

階段を登っているときに力を抜けば

後頭部をぶつけて死ねる。

車道の上を渡っているときにはここから落ちて車に轢かれれば死ねる

そう思っていました。

 

どうして人はいじめをやめないんだろう。幸い加害者になることはありませんでしたが、

傍観者になってしまったことはありました。

傍観者に「助けてよ」「苦しい」「辛い」と伝えたって

助けてくれないと思ってしまうんです。

なんなら傍観者からも、辛くなる言葉を掛けられることもありました。

 

「みんなちがってみんないい」

それをこの地球上のみんなが心にとめて

行動してくれたらいいなと思います。

そうすれば、いじめも、差別も、いさかいもなくなると思います。

私は少しずつでもいじめがなくなればいいなと思い、願います。祈ります。

今は行動はできないけど、いつか行動できればいいなとも思います。